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ぬれ落ち葉、夫源病、妻源病──定年後の夫婦にまつわる言葉を並べて眺めていたとき、実はずっと気になっていたことがあります。
私は在宅ワークという「自分の世界」を持っています。小さな観葉植物とお気に入りのマグを机に置いて、文章を書く時間です。いつ書くかは特に決まっていなくて、その日の予定や体調に応じて、無理のない範囲で書いています。この時間が気分転換になっているので、夫への過剰な期待やイライラが、減っているのではないかと思うのです。
もしかして、自分の世界を持つことそのものが、夫源病の予防になっているのではないか?
このブログでふだん書いているのは、在宅ワークと暮らしの話です。夫婦関係の専門家ではありません。ただ、家で過ごす時間が増えるという一点で、この二つは地続きでした。
興味が湧いたので、今回は特別編として「夫源病」を深掘りしてみました。命名者の医師が書いた原典の論文から、総務省や内閣府の統計、海外の研究まで、できる限り一次情報にあたっています。調べてみると、「知っているつもり」だった夫源病のイメージが、いくつもひっくり返りました。
夫が家にいる時間が増えてから、なんとなく気持ちが重い日がある。そんな心当たりがあるなら、このあとの話はきっと他人事ではありません。
夫源病とは?──実は「正式な病名」ではありません
まず一番大事なところから。
夫源病(ふげんびょう)は、正式な医学的診断名ではありません。
夫の言動や夫婦関係が慢性的なストレス源となって、妻に動悸・胃痛・不眠・血圧上昇・気分の落ち込み・頭痛などの不調が現れる状態を説明するために、日本で作られた通称です。
命名したのは、大阪大学で男性更年期外来を担当していた循環器・心療内科医の石蔵文信医師。中高年男性を診療するうちに、付き添いで来る妻の側にも不眠やイライラ、更年期のような症状が多く見られたという臨床経験から、この言葉が生まれました。
ここで驚いたのが、2012年に日本女性心身医学会の学会誌に掲載された石蔵医師本人の文章(原典)に、「科学的な根拠は全くない」と本人自身が明記していることです(石蔵文信「中高年女性を苦しめる夫源病と男性更年期障害」『女性心身医学』17巻2号、2012年、188-192頁。J-STAGEで全文公開)。
つまり、現時点で存在しないものは──
- 国際的に合意された夫源病の診断基準
- 妥当性が検証されたチェックリスト
- 夫源病そのものの有病率を示す公的統計
- 夫源病に特化した標準治療ガイドライン
ネットでよく見る「夫源病チェック!○点以上なら要注意」といった採点表は、医学的診断には使えないということです。
では「気のせい」なのか?──そうではありません
ここが大事なところです。「夫源病」という病名は科学的に確立していない。でも、その言葉が指している苦痛や健康被害は、実在し得るのです。
126本の研究・7万2千人以上のデータをまとめた米国のメタ分析では、夫婦関係の質が悪いほど、主観的健康・身体的健康・死亡リスクなどが悪化する関連が確認されています(Roblesほか「Marital quality and health: a meta-analytic review」Psychological Bulletin 140巻、2014年。PubMed)。
想定されている仕組みは「気の持ちよう」ではなく、慢性的な緊張による自律神経への負担、ストレスホルモンの変化、睡眠の悪化、炎症反応など、身体の反応そのものです。
「夫源病という独立した病気があるのではなく、夫婦関係をストレス源として、心身症・うつや不安・更年期症状などが発生・悪化している可能性を示す総称」──これが、調べた範囲でいちばん正確な整理だと感じました。
ちなみに似た言葉に「主人在宅ストレス症候群」(黒川順夫医師が1991年に命名)があります。夫が退職などで在宅するようになった後、妻に心身の症状が出るという概念で、こちらも正式な病名ではありません。
夫源病になりやすい人は?「妻の特徴」の噂を検証する
検索すると「夫源病になりやすい妻の特徴」として、こんなリストをよく見かけます。
- 我慢強く、真面目
- 几帳面で責任感が強い
- 弱音を吐かない
- 世間体を気にする
たしかに、命名者の石蔵医師も著書などで「典型的な妻」像を挙げています。でも、原典の論文を確認する限り、これらは統計的に検証された分類ではなく、あくまで臨床経験にもとづく印象です。「私は当てはまるから夫源病になる」「当てはまらないから大丈夫」という使い方はできません。
その一方で、研究や統計から見えてくる「リスクが高まりやすい状況」なら、ある程度言えそうです。特徴は「性格」より「置かれた状況」にある、というのが私の受け取り方です。
状況1:家事と「見えない管理」が一方に偏っている
総務省の「令和3年社会生活基本調査」によると、1日あたりの家事関連時間は男性51分、女性3時間24分。その差は2時間33分です(総務省統計局)。20年前より縮まったとはいえ、まだ大きな差です。
しかも数字に表れない負担があります。食材の在庫管理、家族の予定調整、通院や薬の管理、そして「夫の機嫌への配慮」。夫が家事を「手伝って」いても、妻が家庭全体の責任者であり続ける限り、この管理負担は減りにくいままです。
状況2:夫の退職で「一人の時間」が消えた
「夫が定年退職すると妻が夫源病になる」とよく言われますが、研究結果は意外でした。
日本の全国縦断調査で、夫が退職した女性3,794人を12年間追跡した研究(Oshio「What Factors Affect the Evolution of the Wife’s Mental Health After the Husband’s Retirement?」Journal of Epidemiology 31巻、2021年。J-STAGE)では、夫の退職後に妻の心理的苦痛はたしかに上昇したものの、その幅は比較的小さく、数年後には退職前の水準に戻る傾向がありました。そして結果を大きく左右したのは、退職前からの妻の社会参加・夫婦の交流・妻の就業状態でした。
一方、夫の早期退職が妻の心身の不調の報告を増やしたとする研究もあります(Bertoniほか「Pappa Ante Portas」Social Science & Medicine、2017年。ScienceDirect)。
つまり「夫が退職すれば妻は必ず病気になる」という単純な法則はありません。退職そのものより、退職前から夫婦の距離感と、妻自身の世界があったかどうかが効いてくる。ここは後で詳しく書きますが、私が「在宅ワークが予防になるのでは」と感じた直感と、研究の結論が重なった部分です。
状況3:更年期と重なっている
夫源病として語られる症状──ほてり、発汗、めまい、動悸、頭痛、イライラ、不眠──は、更年期障害の症状と驚くほど重なります(日本産科婦人科学会「更年期障害」)。
同学会は、更年期障害はホルモン変動だけでなく、心理的要因や家庭・社会的要因が複合して起こると説明しています。「夫源病か、更年期か」の二者択一ではなく、ホルモン変動+夫婦関係のストレス+睡眠不足が重なって症状を強くしていると考えるほうが自然です。
こんな症状が出ることがあります
命名者が代表例として挙げているのは、動悸、胃痛、不眠、血圧上昇、気分の落ち込み、頭痛です。
そのほか、夫婦関係の慢性ストレスに伴って起こり得るものとして、頭痛や肩こり、めまい、息苦しさ、胃腸の不調、倦怠感、イライラ、不安、集中力の低下などが挙げられます。
行動面のサインもあります。
- 夫の帰宅時間が近づくと体調が悪くなる
- 夫の足音や物音に過敏になる
- 家にいるより外出先のほうが楽
- 夫の不在時にまとめて眠る、食べる、休む
「夫がいない日は楽になる」は、ストレス源を考える手掛かりにはなります。ただし、それだけで「原因は夫」と確定するわけではありません。夫の不在時には家事量も騒音も生活リズムも同時に変わるからです。
気をつけたいこと:全部「夫のせい」にすると病気を見逃す
これは調べていて背筋が伸びたところです。動悸・胸痛・強い頭痛・めまいの陰に、心疾患、甲状腺の異常、貧血、脳血管の病気などが隠れていることがあります。「どうせ夫源病だから」と片付けて受診が遅れるのが、いちばん怖いパターンです。症状が続くなら、まず内科やかかりつけ医で身体の検査を。これが大前提です。
夫源病にかかったらどうすればいい?
「夫源病にかかったらどうすればいいですか?」──検索でもよく見かける質問です。調べた内容を、日常でできる順に4つの層に整理しました。
ただしその前に、ひとつだけ確認してください。
最初の分かれ道:「話し合える相手」か「話し合うと危険な相手」か
- 反論しても、後で報復されない
- 電話・外出・交友・お金を監視、制限されていない
- 怒鳴る、物に当たる、脅す、性的強要がない
すべて「はい」なら、これから紹介する対策を試せます。ひとつでも当てはまる、または判断に迷うほど怖いなら、それは夫婦のコミュニケーション問題ではなく、DV(配偶者からの暴力)の可能性です。この場合は話し合いより安全確保が優先。この記事の最後に相談先を載せています。
対策1:まず身体の反応を鎮める
夫の帰宅音や話し方で身体が緊張したら、その場で問題を解決しようとせず、まず身体を落ち着けます。
- 「今は体調が悪いので、あとで話します」と短く言って、別の部屋へ移る
- 椅子に座って肩を下げ、鼻から3〜4秒吸って、口から5〜6秒かけてゆっくり吐く。1〜3分
- 奥歯を離す、肩を1回上げて落とす──どれかひとつだけ
厚生労働省のセルフケア教材でも、腹式呼吸やストレッチが心身の緊張を緩める方法として紹介されています(厚生労働省「こころの耳」)。
対策2:「同じ家にいる=常に一緒」をやめる
夫婦だから食事もテレビも就寝も毎回一緒に、という決まりはありません。
- 朝食や昼食は各自で
- テレビは別の部屋で(またはイヤホン)
- 可能なら寝室を分ける(夫婦仲の評価ではなく、睡眠環境の調整として)
- 休日も半日は別行動
- 毎日15〜30分でいいので「夫の要求・視線・機嫌を処理しなくていい時間」を確保する
大事なのは「何か有意義なことをする」ことではなく、警戒を解除できる時間を作ることです。
対策3:家事を「手伝わせる」のではなく、責任ごと渡す
「家事にも定年があっていい」という発想がずっと頭にあったのですが、深掘りしてわかったのは、作業を減らすより「管理責任」を手放すほうが楽になるということでした。
悪い例:「言われたら夫がゴミを出す」
良い例:「火・金のゴミは、袋の交換から分別確認、ゴミ出しまで夫の担当」
「何をすればいい?」と毎回聞かれる状態では、実作業が減っても妻の頭の中の負担は残ります。担当領域ごと渡す。あわせて、夫が自分でできること(自分の昼食、自分の衣類、自分の通院予約)を、妻の仕事のリストから外していきます。
そして体調が悪いときは、家事の基準そのものを下げること。惣菜も冷凍食品も使う。「今日やらない家事」を毎日ひとつ決める。回復する余地を自分に残してあげてください。
対策4:夫婦の外に「経路」を作る
症状記録をつける(診断ではなく、医師に伝える材料として)
ネットのチェックリストの代わりに実際に役立つのが、この記録です。1日1回、数分で書ける項目だけに絞りました。
| 記録する項目 | 記入例 |
|---|---|
| 日時 | 7月18日 18時 |
| 症状と強さ(0〜10) | 動悸と胃痛、強さ7 |
| 直前に起きたこと | 帰宅直後、食事に文句を言われた |
| 夫の在宅・不在 | 在宅 |
| 睡眠 | 4時間、夜中に2回目が覚めた |
| 行った対策とその後 | 別室で深呼吸。30分後に7→4 |
1〜2週間続けると、「帰宅前に悪化する」「別室や外出で軽くなる」「睡眠不足の日に強く出る」といった傾向が自分でも見えてきます。受診時にこの記録を見せれば、そのまま診療の材料になります。
ひとつだけ注意です。スマホや手帳を夫に見られる可能性がある場合は、無理に記録を残さないでください。記録より安全が優先です。
信頼できる人をひとり確保する
解決してもらうのではなく「定期的に話を聞いてほしい」と頼みます。月1回より週1回・短時間のほうが、お互いに変化へ気づきやすくなります。孤立すると、自分の感覚が正しいのかどうか、自分で判断しにくくなっていくからです。
受診をためらわない
動悸・胃痛・不眠が続く、家事や外出がつらくなった、何をしても楽しくない──こうなったら、日常の工夫だけで様子を見続けないでください。
| 主な症状 | まず相談する診療科 |
|---|---|
| 動悸、胸の圧迫感、血圧、胃腸の不調 | 内科(かかりつけ医) |
| ほてり、発汗など更年期らしい症状、不正出血 | 婦人科 |
| めまい、耳鳴り | 耳鼻科または内科 |
| 不眠、落ち込み、不安、パニック | 心療内科・精神科 |
| 症状が複数あって迷う | かかりつけ医にまとめて相談 |
受診時のコツもわかりました。「夫源病だと思います」と伝えるより、「夫が帰宅する1時間前から動悸が始まる」「夫が3日不在だと胃痛が軽くなる」と具体的な事実を伝えるほうが、診療にずっと役立つそうです。
これだけは様子を見ないで(救急のサイン)
次の症状は「夫源病かも」と考えるより先に、緊急の身体の病気を疑ってください。強い胸痛や呼吸困難、失神、経験したことのない突然の激しい頭痛、体の片側の麻痺やしびれ、ろれつが回らない──迷わず119番です。
私が「在宅ワークは夫源病の予防になる」と感じる理由
さて、冒頭の疑問に戻ります。
夫の退職後の研究(前出のJournal of Epidemiology掲載論文)で、妻の心の健康を左右したのは、退職前からの妻の社会参加・就業・夫婦の交流でした。つまり「夫が家にいるようになってから慌てて何かする」のではなく、その前から自分の世界を持っていた人ほど影響が小さい可能性がある、ということです。
私にとって、その「自分の世界」が在宅ワークでした。
思い返すと、結婚した時から、夫にあげる誕生日のプレゼントを買うお金ぐらいは、自分で稼ぎたい、という気持ちを、ずっと持っていました。もともと、そういう傾向があるのかもしれません。
在宅ワークが夫源病の予防になりそうだと感じるポイントを、自分の実感で挙げてみます。
- 「自分だけの時間」ができる:私の執筆の時間は特に決まっていなくて、その日の予定や体調に応じて、無理のない範囲で書いています。書いているあいだは、誰の機嫌も処理しません。「対策2」で書いた警戒解除の時間が、仕事という形で自動的に確保されます。
- 収入と役割が、夫婦関係の外にできる:家庭内の役割だけだと、評価してくれる相手も夫だけになりがち。仕事があると「家庭の外の自分」への評価が入ってきます。経済的な自由が少しでもあることは、いざというときの選択肢にもなります。
- 相手への期待が適度に下がる:自分が忙しく充実していると、「なんでわかってくれないの」が減ります。過干渉・過期待が減ると、会話はむしろ穏やかに戻ってきます。
- 社会とのつながりが家の外に保てる:クライアント、講座の仲間、オンラインの友人。孤立は夫婦問題をこじらせる大きな要因です。
もちろん、在宅ワークは万能薬ではありません。夫が在宅ワーク中の妻に口を出し続けるなら、それ自体がストレス源になります(だからこそ空間と時間のゾーニングが必要です。仕切りや居場所のつくり方は、住まいの側からも手が打てます)。それに、DVがある関係では「妻が忙しくなること」がかえって危険を招く場合もあります。
それでも、15年あまり続けてきた在宅ワークが、結果として夫婦の距離感を健康に保ってくれている──これは、統計ではなく私個人の実感ですが、研究が示す方向とも矛盾しない実感だと、今回調べてみて思いました。

友人の農園の休憩所のインテリアを選んだとき、お気に入りのこの子たちも並べました。
冒頭に書いた机の上の小さな観葉植物は、じつはこのフェイクグリーンです。足の形を変えて、その日の気分に合わせられるのが楽しいところです。
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在宅ワークの始め方は、このブログでたっぷり書いています。「夫源病の予防」という入口から在宅ワークに興味を持った方は、在宅ワーク完全ガイドから、のぞいてみてください。手持ちの経験の棚卸しは、『はじめての在宅ワーク準備ガイド』の1「働く目的と、手持ちの経験を書き出す」に書きました。
その在宅ワークを、私がどう始めて、どこで転んだかは、『59歳で、70歳の自分が想像できませんでした』に通しで書きました。
これはDVかもしれない、と思ったら
最後に、いちばん大事なことをお伝えします。
夫源病という言葉には、便利さと同時に危うさがあります。怒鳴る、無視する、交友関係を制限する、電話を細かく確認する、生活費を渡さない、就労を妨げる──内閣府はこれらを精神的・経済的暴力の例として挙げています。こうした行為まで「夫婦のストレス」「夫源病」と呼んでしまうと、暴力が見えなくなります。
内閣府の令和5年度調査では、結婚経験のある人の25.1%が配偶者から何らかの暴力(身体的暴行・心理的攻撃・経済的圧迫・性的強要)を受けた経験があり、女性では27.5%にのぼります(内閣府男女共同参画局「男女間における暴力に関する調査」令和5年度)。同じ調査では、配偶者から被害を受けた経験がある男性も22.0%で、「困った夫と我慢する妻」だけの構図ではありません。決して珍しい話ではないのです。

怖くて意見が言えない。監視されている。反論すると報復される。──そう感じるなら、夫を説得することより、あなたの安全が先です。
- DV相談プラス:電話0120-279-889が24時間365日つながります。チャットでも相談できます
- DV相談ナビ「#8008」:最寄りの配偶者暴力相談支援センターにつながります
- 身の危険が差し迫っているときは110、けがや急病は119
「#8008」は、各窓口の相談受付時間内につながります。お使いの電話によってはつながらないことがあり、そのときはDV相談プラスか、お住まいの自治体の配偶者暴力相談支援センターへ直接おかけください。通話料は、一般の固定電話にかけたときと同じだけかかります。
窓口の情報は変わることがあります。最新の内容は各公式サイトでご確認ください。
声を出せないときの、手のサイン
助けを求めたくても、声に出せない場面があります。相手が同じ部屋にいる。通話を聞かれている。スマホの履歴を見られている。そんなとき、言葉は使えません。
そのために作られたのが、Signal for Help(シグナル・フォー・ヘルプ)という手のサインです。カナダの財団(Canadian Women’s Foundation)が2020年に始めたもので、片手だけで、音を立てずに出せます。ビデオ通話の画面越しでも伝わります。
出し方は、3つの動きです。
- 手のひらを、相手に見えるように開きます。
- 親指を、手のひらの内側に折ります。
- 残りの4本を折って、親指を包みます。
このサインの意味は、「すぐ通報して」ではありません。「安全な方法で、私に連絡をとって」です。ここを取り違えないでほしいと思います。
もし、誰かが出しているのを見たら
公式のガイドは、場面で線を引いています。
- ビデオ通話や電話で、知っている人が出したとき:すぐに通報するのではなく、まず安全な方法で連絡をとります。何をしてほしいかは、その人に決めてもらいます。 通報が必要かどうかを、こちらで判断しません。
- 街なかや、窓・戸口越しに見かけたとき:この場合は、110番への通報が適切な対応だと、公式のガイドに明記されています。
このふたつは、どちらか片方だけを覚えると危ないところです。連絡がとれる相手に先回りして通報すると、その人をかえって危険にしてしまうことがあります。逆に、目の前で助けを求めている人に対して「通報してはいけない」と思い込むのも違います。
受け取った側にできること
いちばん繰り返し書かれているのは、その人に主導権を渡すということです。ガイドの中で、同じ趣旨が何度も出てきます。
声を出せない状況かもしれないので、「はい」「いいえ」で答えられる聞き方をします。話を聞くときは、「あなたのせいじゃありません」「私はここにいます」と伝えるだけで十分だといいます。原因を探るような聞き方は、しないほうがいいそうです。
そして、覚えておきたいことがひとつあります。その関係から離れることは、いつでも可能とは限らず、いつでも安全とも限りません。 離れないという選択をした人のそばにも、支える役割は残ります。
万能ではありません
このサインは、知っている人にしか伝わりません。加害する側が知ってしまう可能性もあります。そもそも、監視が厳しくて出せない人もいます。公式のガイドも「ある人が、あるときに使えるかもしれない、ひとつの道具」という書き方をしています。
だから、これは相談窓口の代わりではありません。上に挙げた窓口のほうが先で、これはその手前にある、もうひとつの入口です。
そして、この記事を読んでいるあなたは、出す側になるかもしれないし、受け取る側になるかもしれません。どちらの側から読んでも困らないように、両方を書きました。
夫源病のよくある質問
調べる中で「関心は高いのに、正面から答えている情報が少ない」と感じた疑問を、Q&A形式でまとめました。
Q1. 夫源病は病院で診断してもらえますか?
A. 「夫源病」という診断名がつくことは基本的にありません。正式な病名ではないからです。ただし病院に行く意味は大いにあります。医療の現場では、症状の背後にある身体疾患・更年期障害・うつや不安・不眠などを個別に評価し、それぞれに治療をしてくれます。「診断名がつかない=相手にされない」ではありませんので、症状記録を持って受診してください。
Q2. ネットの「夫源病チェックリスト」は当てになりますか?
A. 医学的診断には使えません。妥当性が検証されたチェックリストは、調べた範囲では存在しませんでした(命名者自身が原典で「科学的な根拠は全くない」と書いています)。点数に一喜一憂するより、この記事で紹介した症状記録のほうが、実際の受診にも状況の整理にも役立ちます。
Q3. 「妻源病」もあるのですか?
A. 言葉としては使われることがあり、このシリーズでも公平のために、妻源病の回で正面から取り上げています。夫源病と同じく正式な病名ではありませんが、配偶者との関係がストレス源になって心身に不調が出ること自体は、夫にも妻にも、同性のカップルにも起こり得ます。「被害者は妻・原因は夫」と固定した名称であること自体が、夫源病という言葉の弱点のひとつです。
Q4. 夫源病は治りますか?
A. 「夫源病そのもの」への確立した治療法はありませんが、構成している個々の問題──不眠、更年期症状、うつ状態、血圧など──には、それぞれ治療や対処法があります。ただし、症状だけを薬で軽くしても、家庭内のストレス源(接触量・役割分担・自由の制限)が変わらなければ、また出てきやすいと考えられます。だから「治療」と「距離感の再設計」の両輪なのです。
Q5. 離婚や別居をしないと解決しませんか?
A. そうとは限りません。退職後の研究では、夫婦の距離感や妻の社会参加によって経過が大きく変わることが示されています。空間・時間・役割の再設計で改善する余地はあります。ただし逆に、暴力や支配がある関係で「もっと話し合えば」と我慢を続けるのは危険です。その場合は解決策の検討より先に、ひとつ前の章で紹介した専門の相談窓口(DV相談プラス・DV相談ナビ #8008)へつながってください。
ここから先は、よく寄せられる疑問への答えです。私自身の体験のほかに、質問サイトで見かけた考え方と、公的な情報をもとにまとめました。参考としてお読みください。
Q6. 夫が家にいると、気持ちが重くなるのは私だけ?
A. あなただけではありません。質問サイトでも、夫が休みの日や、出張から帰ってくる日に気持ちが沈む、という相談は、多く読まれている問いとしていくつも並んでいます。この記事で紹介した研究でも、夫の退職のあとに妻の心の負担が上がることがありました。その幅を左右したのは、妻自身の社会参加や、夫婦の交流でした。この記事の「対策2」では、一人で気をゆるめられる時間を、毎日少しでも作る方法を紹介しています。体の不調が続くときは、医療機関に相談してください。
Q7. 体の不調があるとき、何科にかかればいい?
A. 症状によって、入口が違います。動悸や胸の圧迫感、血圧、胃腸の不調は内科(かかりつけ医)、ほてりや発汗など更年期らしい症状は婦人科、めまいや耳鳴りは耳鼻科か内科、不眠や落ち込み、不安は心療内科か精神科です。迷うときは、かかりつけ医にまとめて相談してください。「夫源病だと思います」と伝えるより、「夫が帰宅する前から動悸がする」のように、事実を伝えるほうが診療に役立つそうです。強い胸痛や呼吸困難、突然の激しい頭痛、体の片側のしびれがあるときは、迷わず119番です。
Q8. 夫に「つらい」と、どう伝えればいい?
A. まず、話し合える相手かどうかを確かめてください。反論すると報復される、お金や外出を制限される、怒鳴る・脅すことがある。ひとつでも当てはまるなら、話し合いより安全が先です(DV相談プラス 0120-279-889・24時間)。話し合える相手なら、「あなたが悪い」ではなく、「私は、こうしてもらえると助かる」と、自分を主語にして伝えるのが勧められています。大きな話より、「昼ごはんは各自にしたい」「火・金のゴミは任せたい」のような、具体的な一件からのほうが伝わりやすいようです。
Q9. 自分の世界を持つと、本当に楽になる?
A. 研究では、夫の退職のあとの妻の心の健康を左右したのは、退職の前からの社会参加や仕事、夫婦の交流でした。私の場合は、在宅ワークがその「自分の世界」です。書いているあいだは、誰の機嫌も処理しなくていい時間になっています。ただ、万能ではありません。夫が口を出し続けるなら、場所と時間の分け方が要ります。暴力がある関係では、忙しくすることが、かえって危険になる場合もあります。
まとめ:名前に振り回されず、状況を変える
今回の深掘りでわかったことを、3つにまとめます。
- 夫源病は正式な病名ではない。でも苦痛は本物。「病気じゃないなら我慢」でも「全部夫のせい」でもなく、身体の検査・心のケア・夫婦の距離感の再設計を、分けて考える
- なりやすいのは「性格」より「状況」。家事と管理負担の偏り、一人の時間の消失、更年期との重なり。状況なら、変えられる
- 予防のカギは、夫が退職する前から「自分の世界」を持っておくこと。私にとってそれは在宅ワークでした。あなたにとっての「自分の世界」は、何でしょうか
距離感は冷たさではなく、思いやりの形。この言葉を、調べれば調べるほど実感した特別編でした。
参考文献・出典(本文中に登場した順)
- 石蔵文信「中高年女性を苦しめる夫源病と男性更年期障害」『女性心身医学』17巻2号、188-192頁、2012年(J-STAGE)
- Robles TF, et al. “Marital quality and health: a meta-analytic review.” Psychological Bulletin 140(1), 2014(PubMed)
- 総務省統計局「令和3年社会生活基本調査 生活時間及び生活行動に関する結果」2022年(総務省統計局)
- Oshio T. “What Factors Affect the Evolution of the Wife’s Mental Health After the Husband’s Retirement? Evidence From a Population-Based Nationwide Survey in Japan.” Journal of Epidemiology 31(5), 2021(J-STAGE)
- Bertoni M, Brunello G. “Pappa Ante Portas: The effect of the husband’s retirement on the wife’s mental health in Japan.” Social Science & Medicine 175, 2017(ScienceDirect)
- 公益社団法人日本産科婦人科学会「更年期障害」(jsog.or.jp)
- 厚生労働省 働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」(kokoro.mhlw.go.jp)
- 内閣府男女共同参画局「男女間における暴力に関する調査」令和5年度調査(gender.go.jp)
- 内閣府「DV相談プラス」(soudanplus.jp)
- Canadian Women’s Foundation「The Signal for Help Responder’s Action Guide」(canadianwomen.org)
※本記事は医学的診断・治療の代わりになるものではありません。症状が続く場合は医療機関にご相談ください。
📖 続けて読むなら
→ 妻源病の回「妻源病とは?夫側のストレスを公平に調べてみた」
「夫源病を裏側から調べた回です。配偶者からの被害経験は男性も22.0%という統計、見逃されやすい男性更年期障害まで、今度は夫側の視点で掘り下げました」













